2011年4月7日木曜日

宮城より。

No.336

下記、Facebookにまとめたものの、

より広く拡散を、とのアドバイスを頂戴しました。

皆さまに是非被災地の現状をご覧いただきたく、こちらにも掲載します。


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まず最初に、皆さまにご報告を。

この日曜からの帰省の中で、私の親戚すべての生存が確認されました。

この災害の中で、私と私の家族の中に起こった奇跡でした。

震災から3週間が過ぎましたが、以来、私の家族のケアや、

親戚の安否確認等で、皆さまにご心配、ご迷惑をおかけいたしました。

また一方で、多くの励ましのメッセージを頂戴しました。

本当にありがとうございました。

本当はこれらの写真を、公の場に公開してよいものか、

本当に迷い、悩みました。

しかし、このFacebook上に、宮城県出身あるいは同県にゆかりがあり、

現在海外に暮らす友人の皆さんがいること、

被災者である伯父が、これらの写真を使って、

積極的に情報発信をしようとしている姿勢に共感したこと、

などを理由に、公開しようと思いました。

私が見てきた宮城県の状況を報告いたします。


仙台市中心部、仙台港

仙台市に関して、まず中心部は建物の損壊や、

交通機関の不通などがありながらも、

徐々に普段の動きを取り戻している感がありました。

地下鉄や電車は部分的な運行を強いられていますが、

バスの代行運転等の適切な対処により、人々は動くことが出来ています。

商業施設も、営業時間や品数が制限されるものの、

多くの店舗で営業は再開されています。

ただ、仙台港周辺においては、やはり津波の被害が甚大で、

工場地帯、流通拠点などは壊滅状態にありました。

仙台港は、最近操業を開始していたトヨタの生産拠点から

外部への自動車の流通拠点となっていましたが、

被害を受けた自動車の痛々しい姿がみられました。






石巻市、女川町

私の両親の実家があり、今も多くの親戚が住む石巻市。

特に沿岸地域の雄勝町や、女川町は、報道の通り、壊滅状態でした。



















父母の実家は津波により流され、建物の基礎部分が形を残すのみ。

母の実家においては、先祖の写真や位牌、家財道具などの捜索に

あたりましたが、津波の行き来があり、

どの方向に何が流されているのかすらも把握できない状態で、

発見には至りませんでした。

現地で会った従兄弟によると、津波は高さ30メートル近く、

7~8波が押し寄せたようです。

(3階建ての雄勝町役場の3階まで、波が入ったそうです)








父の実家の近くでは、教科書やノートが一杯詰まった

ランドセルを発見しました。

毎朝ランドセルを背負って通学する子を持つ親として、

なんとも言えぬ感情をいだきました。

これらの拾得物は、雄勝町支所(旧雄勝町役場)にて管理されています。

(google person finderで確認したところ、

この持ち主の少年は避難所で無事のようでした)


女川町は、津波の被害が甚大であることが、今回も報道されています。

また、東北電力の原発がある街、としても知られていますが、

原発においては、大きな被害、影響はなかったようです。








女川町の沿岸には漁業の拠点、水産加工業の工場がありましたが、

残念ながら、どれも生きている建物はみられませんでした。

津波によって打ち上げられた船が、車道を塞ぐ現実にも直面しました。









女川に住む伯父夫婦の家は高台にあり、津波の難を辛うじて逃れました。

伯父は、津波に流されていく車や建物を、家から見ていました。


最後に

メディアにおいては、報道される内容が、一時期の被災地の状況から、

「原発」と「復興」にシフトされているのが実情です。

しかし、被災地を実際に見てみて、

「復興」という言葉がどこまで現実的なのか、

想像すらできない状態でした。
それは、被害があまりにも甚大だから、という側面と、

「誰が復興をするのか」という側面、双方から感じられるものでした。


沿岸に住む私の従兄弟や伯父は、今回の災害を機に、

津波によって家や生活、生活をともにした人々が失われる、

という現実を、身をもって経験しています。

そのような人が、これまでと同様、海のそばの街を復興して、

ここに引き続き暮らして行こうと思えるのか、

これは私にも本当にわかりません。

復興以前に、まずはぞれぞれの生き方、暮らし方を考え、

見つけていくことだけで、多くの時間を要するように思えます。

伯父も、「この街はこのまま無くなる」と冷静に言いました。

被災地の復興への機運が高まりますが、

それは「いつ」のレベルではなく、「可否」のレベルで、

その実現の可否が問われていることのように思えます。


今回の帰省は、時間の制約もあり、

仙台よりも私のルーツのある石巻に重きが置かれてしまいました。

本当はもうちょっと仙台市内の状況を私も知りたかったのですが、

もうちょっと日常に近づくであろう、数ヵ月後にまた行きたいと思います。

この度の震災において、

犠牲になられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

また復興に向け、ご尽力されている自衛隊の皆さま、

関係機関の皆さま、ボランティアの皆さまに、心より敬意を。

2011年3月15日火曜日

今私の身の回りに起こっていること。

No.335

このところ、2日程会社を休ませていただき、

携帯に電話をいただいても出られなかったり、

出ても手短に切らせていただいたり、

そんな状況が続いています。

私としては皆さんに説明をしてきたつもりではいますが、

今一度、私に起きていることを、ここでご説明します。


3月11日、東北、関東にあの震災が起こりました。

私の実家は仙台にあります。

そして、おじ、おば、いとこのほとんどが、

今回、地震と津波の被害を受けた、石巻市や女川町に住んでいます。

仙台の実家は、ライフラインの遮断が続いているものの、

家屋は住める程の安全性は保たれ、父、母とも無事でした。

しかし、当地に住む親戚とは、誰一人として連絡が取れない状況が続いています。

実家の父、母は、テレビを観ることでしか、状況を把握できません。

インターネットのリテラシーは、ほとんどありません。

あの繰り返し流される、津波に家や車が流される映像が、

両親にとっての唯一の現実を目の当たりにする手段、になってしまっています。

山口県や千葉県、神奈川県にも親戚はいますが、同様です。

今、家族の中で、親戚の安否を知る唯一の手段が、私に託されている状況です。


発生から4日が経ち、私はPCで情報収集に努めて来ました。

twitterや、facebook、そして現地に比較的近い方々のブログに流れる情報を頼りに、

今日まで親戚たちの消息を探し続けてきました。

そして、googleが各避難所の名簿共有サービスを開始し、

日夜、有志の方々が更新に励んでくださっています。

そして本日、20名以上もの親戚のうち、従兄弟夫婦、2人の名前を、

ようやく避難者の中に見つけることができました。

これは確かに希望の光でもあります。

しかし、これだけ探して2名しか見つからない、

今、そんな壁にぶち当たっています。

本当に現実に直面しているのだろうと思います。

まったく手がかりがない。

その状況を知れば知るほど、時間を追うごとに、

私の中に、何か暗く重苦しい何かが、どんどんその重みをまして行きます。



3月11日、実は私の37回目の誕生日でした。

誕生日を嬉しく思う年齢でもないのですが、

私は誕生日を迎える度に、

何かを嬉しく感じたり、祝福されても心から嬉しく感じたり、

そういったことは、この先ないのだなぁと、感じています。

何よりもまず、この震災のことを思い浮かべるでしょう。



とりとめのない文章になってしまいました。

今、私はそんな中にいます。

2011年1月1日土曜日

あらためまして、新年です。

No.334

あらためまして、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

本日は横浜を散歩&闊歩してきましたよ。

これまで、まぁ、たかだか36年あまりの人生ですが、

節目節目に出向いたのが、横浜でした。

おそらく今年は、私にとっても様々意味で、

変化に富んだ、エポックな一年になるように思えるのです。

そんな一年の始まりを、どうしても横浜から始めたかった。

それが、予定より2時間寝坊してまでも(笑)、当地を訪れた理由でした。

しかしまぁ、日本中を襲う大寒波をよそに、

ひたすら歩きに歩いた私に、今日の気候は暑かった。

マフラー不要でしたね。

そんな横浜から始まった今年一年、充実した歳にしたいと思います。

謹賀新年

No.333

本年もよろしくお願い申し上げます。



2010年8月22日日曜日

偉大なる、植木等。

No.332

スーダラ節 feat. MJ and John Travolta.






2010年2月6日土曜日

最近はyoutubeばっかだねぇ。

No.331


こういうの好きだなぁ〜www

freddie役の表情は、もはや素人の顔芸じゃないな。秀逸。






2010年1月26日火曜日

久々にこういうものに惹かれてみる。

No.330






オープニングの雨と雷の表現は圧巻。

なんか、久々に血が騒ぎますねぇ。