2009年8月24日月曜日

人生を方向付けた、3人の大人とその言葉。

No.323

小学校5年生の時、絵を描くのが好きだった私を、

当時の担任の先生が、毎回楽しみ(のよう)に観てくれた。

「面白いね~」という言葉が励みになって、

何かを考えて形にするという職業に、背中を押された。



高校3年生のとき、夢ばかりを見ていた私に、

「男なんてな、年収なんだよ。」なんていう、

世の現実を突きつけれくれたのが、日本史の先生。

まぁ、年収がすべてなのか否かについては、継続審議中だけど、

社会の現実をストレートに初めて見せてくれたのがこの先生だった。



社会人になって2年目、自分が作ったものに、

「こんなゴミみたいなもん、表に出せるか!」

という言葉で、これまた社会人としての現実を突きつけてくれたのが、

私が師と仰ぐ方の言葉。

ただ時々、節目節目でかけてくださった、

「おつかれさん。だんだん仕事がサマになってきたな。」

という言葉に、どれほど助けられ、勇気付けられたか。




以上、私のこれまでの人生を方向付けてくれた、

3人の大人とそれぞれの言葉。



実は先日、お二人目の「高校時代の日本史の先生」に、

17年ぶりにお会いした。

そんなことをきっかけに、

今自分がこうしている、こうなっているのは、

何の影響があったのだろうかと考えてみた。


特別に自慢ができる今はないのだけれど、

とはいえ悲観する未来があるわけでもない。

これは、今のご時世にあって、

何にも代え難い事実であると感じた。



そして、何より嬉しかったのは、

先生との時間が、ただ単に過去を懐かしむ時ではなく、

今とこれからについて、考え合う機会であったこと。

はるか昔の自分を知ってくださっていて、

今の自分をも知ってくださる方がいるというのは、

なんと心強く、幸せなことだろう。





というわけで、先生、ことマイミクのこてる様。

今後ともよろしくお願いいたします。

2009年8月18日火曜日

Tonight's Anthem

No.322




Gabin - Doo Uap, Doo Uap, Doo Uap

この方たちの曲、iTunesのラウンジ系ラジオで、なかなかのヘビロテ具合。

本当はこっちの曲の方が好きなのだけど、

埋め込み無効になっていたので、この曲を。

どうでもいい話だけど、

この手のPV観ると、思い出すのがこの曲。


サイエンスチャンネルに萌える夜。

No.321

地デジに移行していない我が家のテレビでは、

まだ地元のケーブルテレビが視聴できる。

地元の局といえば、こっち地区の祭りとか、あっちの学校の運動会とか、

まぁ地元密着の番組しかなく、正直、見る機会がなかったのだけど、

ふと、夜中、ザッピングをする手を止めている番組があったことに気付いた。


その番組は、単に「もの」づくりの工程を「〜ができるまで」という具合に、

字幕とお世辞にも今風とは言えない音楽にのせて、

追うだけの番組なのだけど、

これがまた、ツボにハマってしまった。

工場で、型に入れられて姿形を変えて行くものとか、

あらゆる無駄をそぎ落とされて形成されていくものとか、

そんなのを見るのが、なぜかたまらなく面白く、

ぼ〜〜〜っっと、最後まで見てしまう始末だ。


で、気になった私は、先日、ついにググってしまった。

おおぉ!なんと、ネットでも視聴できるではないか!


お待たせしました。これが、それです。

ざざん。


サイエンスチャンネル「THE MAKING」


このサイトで、リスト化されたアーカイブなんてのを観てると、

「第272回 布団ができるまで」なんていうものがずらりと並び、

さらにその先が「空白」であることから、続編が期待されちゃう。

こりゃ、全部観たら、それだけで一晩飲み明かせそうな勢いの代物だ。

まぁ、相当な時間と労力が必要ですけどね。。。

2009年8月10日月曜日

Y!のニュース。

No.320

この間、ものすごく腹が立って、

思わずtwitterでも一発叫んでしまったのですが、

最近(とはいえずいぶん前からだけど)、

Yahoo!のニュースには読者(=Y!ID保有者)が、

コメントを書き加えたり、他の読者とシェアしたり、

という機能がついているのだけど、

アレって、どうなんですかね?(のっけから息継ぎなしの長文で恐縮です。)



今年に入ってから、以前仕事で関わりのあった複数の方々が、

結婚やら出産やら、離婚やらを発表して、

そのたびにYahoo!のニュースに掲載される機会が相次いでいます。

で、

そのたびに、前出のコメント欄に、

まぁ、いろいろと書き込まれているわけですよ、罵詈雑言が。

中には、「おめでとう!」(結婚の場合)とか、

「美男美女の子どもっていいなぁ」(出産の場合)とか、

おめでたいニュースに対する、まっとうな祝福のコメントもあるのですが、

大半が、ねたみなのか、やっかみなのか、

批判的なコメントばかり。(あまりに低レベルなので、コピペする気も起きません)

中には、「誰?」なんていう、コメントとしてどう成り立つのかが不明なもの

まで見受けられます。

(知らねぇなら書き込む労力使うなよw)


まぁ、いろいろな報道の中から推測された憶測と、

ささやかに誇りたい自己主張から出るコメントなのでしょうが、

「おめぇら、この人のこと、どんだけ知っているわけ?」

と、大人気なくと突っ込みたくなるわけです。

私が、取り上げられている方々と「関わった」とはいえ、

もちろん、仕事が前提ですので、

それほど深く相手のことを知らない場合が多いのですが、

少なくとも相手の人柄は多少なりとも存じてますし、

中には、結婚や離婚の経緯も聞かされている方もいらっしゃいます。

そういったご本人と、事実の背景をまったく知らず

(現に、コメントの内容が事実とかけ離れているものが大半)、

報道と、自身の中に抱いているであろう虚像を元に、

公の場で無責任な発言が相次ぐ現象って、

いったいどんな世の中なんだろうと、

思ってしまったわけです。


百歩譲って、ユーザーが「コメント」する内容については、

まぁいろいろな考え方をもち、

さまざまな形で自己主張をなさる人々がいる世の中なので、

しょうがないといえばしょうがないのでしょう。

この国では言論と表現の自由が認められています。


ただ、そもそも、

こういう無責任な言動がまかり通る場が存在し、

そのまま放置されている現状に、憤りを感じてしまいます。

書き込まれているコメントなどの言葉は、

そもそもニュースへの各々の考えを共有したり、

議論したりするためのものでしょうが、

内容によっては、時に暴力性を帯び、

その結果、報道の二次被害をもたらす場合も少なくないでしょう。

何よりもまず、ユーザーの情報リテラシーの低さを露呈しているだけで、

こんな機能を以ってして「ユーザー参加、情報共有のコンテンツ」、

まぁ、古くはWeb2.0とかいいますが、そんな形式で運用されていること自体が、

ニュースやメディア、はたまたWebそのものの価値を

著しく低下させているように思えるのです。

これは、言論や表現の自由以前の問題で、

Webを介した「メディア」の尊厳に関わる問題ではないかと、

考えてしまうわけです。


そんな問題を、国内ポータルサイトの牽引者である、

Yahoo!さんのコンテンツ内で繰り広げられているという事実が、

まぁ情報の送り手みたいな仕事をしている私には、

残念でならないなぁと、考えた今日この頃なのです。

2009年8月6日木曜日

ブログの更新が途絶えているのは、なんてことない。twitterばっかやっているから。

No.319

というわけで、twitterやっとられる方、

是非フォローしてつかぁさい

実はfacebookなんかもやってます。